国中に笑みを!


 夜の街は、賑やかになるにつれて治安は悪くなる。
 人が増えれば賑やかになり、すると統率も取れなくなり所々で争いが起こる。
 生活に余裕が出てくれば豊かな心になるだけでなく欲も増え、周囲より豊かさを求めて争い啀み合う。
 ここを乗り切らなくては、慶国は動けない。
 発展を求めねば進歩しない。
 競い合い高め合い、始めて自ら考え歩む道を見つけだす。
 だから必要なんだよと、そう教えられたのはつい先日。
 争いをし、その争いの無意味さを自分たち自身で知り、そこから意味を得る事が何より大切なんだよと。
 教えられ、確かにそうだろうと思ったのも自分。
 けれど目の前でその現場を見ると、胸が痛まぬはずがない。
 大人の影で泣く子供を見、一緒になって泣きたくなる。
 どうして。
 王が起ったのに、どうして。
 そう思い悩むのは、当の王だ。
 統率者が変われば国は荒れる。
 貧困な国が大きく生まれ変わろうとしているのだから荒れぬはずがない。
 それでも胸を痛める。
 民に見えぬ涙を流す。
 手を引き豊かさだけを与え、困難も知らず苦しみを手放し、そんな生き方はただの家畜に成り下がる。
 考える力を得、自らの生き方を得るまでに、悩み苦しみ乗り越えなくてはならないのだ。
 分かっている。
 けれど、辛い。


国中に笑みを            .
 
 窓の外に見えるのは、ぽつりぽつりと浮かぶ街の明かり。
 風に乗って聞こえるのは、陽気に浮かれ騒ぐ喧噪。
 危険な所では夜に出歩くなんて命取りだろう夜の街も、ここは賑わってきている。
「一一一一一一一 陽子?」
 窓から腕を出しもたれかかる様にうなだれる陽子は、その声に振り返った。
「お帰り」
 むくりと体を起こし、戻ってきたばかりの部屋の主を迎える。
「遅いんだな、今日は戻らないかと思った」
 いつの間にか暗くなっていた室内に明かりを灯し、疲れたかお茶でも入れようと手狭なキッチンに立つ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・陽子?」
 しかし一行に部屋の主はドアを開けたまま一歩も動かず、呆然とこちらを見てくるだけ。
「どうした、入らないのか」
 やかんを手に玄関を振り返り、陽子が訪ねる。
「おい、どうしたー?」
 陽子が振り返ると同時に、玄関から見知らぬ男がひょいと顔を出す。
「・・・・・・・・・・・・女!?」
 陽子を見て驚いた男が目を丸くするのでそれに手を振ると、部屋の主はようやく我に返って男を追い出し、慌てて部屋に入り中から鍵を閉めた。
「どどどどど、どうして陽子がここにいるんだ!?」
 まだドアのノブに手をかけたまま動けない部屋の主に、ドアから閉め出された男が外から叫ぶ。
「おいおいお前の女か!? 見せろよいい女じゃねーか!」
「えー何々、どこに女!? 誰の!?」
 ドアの向こうで騒ぐ男の声につられ、近くの部屋に住んでいるらしい住人まで一緒に騒ぎ出したので、部屋の主は勘弁してくれよと細く開けたドアから散れ散 れと叫ぶ。
 そうしてやっと戻った静寂の中、部屋の主      楽俊は、陽子を振り返った。
「・・・・・・・・・・・・・・・楽しそうな住まいだな」
 何も言わない楽俊に、陽子から声をかける。
「その前に言うことないのか」
 あまり機嫌のよくなさそうな楽俊の声。
 何か怒らせる事でもしたかなとしばし考えた陽子はああと気付き、
「留守に勝手に入ってすまない、お邪魔してる」
「違うっ!!」
 素直に謝った陽子に、しかし楽俊はがっくりと肩を落とし、疲れた様にベッドに倒れ込んだ。
 大学で勉強中の楽俊は、安アパートに部屋を借りている。
 もっと良い部屋を用意するぞと言ってくれるとある権力者の言葉に首を振り、狭い部屋で集団生活のような毎日を送っているのは、与えられるだけの虚しさを 知っているからだろうか。
「どうしてお前こんなトコにいるんだよー」
 倒れ込んだまま顔だけを陽子に向け、楽俊が情けない声を出した。
「こんなトコって失礼だな楽俊、立派な部屋じゃないか」
「そういう意味じゃねーだろ」
 陽子の答えにまた顔を顰め、
「慶国の王様が、何こんな安アパートにいるんだ」
「安アパートの何が悪い、寝起き出来て人ひとりが生活出来る部屋なんだ立派だろう?」
 それとも豪華な家具があって無駄に広い豪邸でも欲しいのか、言えば何でも買い与えてくれるパトロンがいるだろう楽俊。
「だからっ、誰がそんな事言った!?」
 豪邸がいらねーからここにいるんだろ、しかもパトロンって何だ俺に分からない言葉使うな!
「パトロンと言うのはな、蓬莱の言葉であまり良くない・・・・・」
「だーっ! ンな事聞いてんじゃねぇっ!」
「聞いたのは楽俊じゃないか」
「違う事にまず答えろっ!!」
 ぜぇぜぇと、大声を上げ肩で息をする楽俊。
 何をそんなに怒っているのだと不思議でたまらないが、埒があかないので素直に楽俊に喋らせる事にした。
「陽子がここにいる事、誰か知ってるのか?」
 少しだけ落ち着き、陽子の入れたお茶に口をつけ、楽俊が切り出す。
「景麒に言ってきた」
 とりあえずそう答える。
 部屋を抜け出す時に見つかってしまった景麒に逃げ出す際一言行ってきますと遠くから叫んだだけだったが、きっと黙ってきた事にはならない。言うつもりは なかったけれど見つかってしまったので仕方がない。
 しかしそんな実状を知るはずもない楽俊は、そうかそれなら良かったと胸をなで下ろしている。
「じゃあ、どうしてここに来たんだ?」
 延王に用事なら景麒も一緒だろう、ならこれはお忍びか、共のひとりも付けずに下町に景王が。
「来たかったから」
 お忍びで来たから迷惑かからないと思ったんだが、やはり迷惑だったか・・・・・・。
 しゅんと肩を落とすと、楽俊がやれやれと大きく溜息を付いた。
「おいら、前にも言ったよな。羞恥心を持てって」
 男の部屋に夜中ひとりで来る女、よくないだろ?
「言われたけど、来た時は昼だったぞ」
 楽俊がこんなに遅くなるなんて思わなかったから。
「そういう問題か」
「違うのか?」
「今は夜だ」
「朝には見えないな」
「だからっ」
 会話の進展がないまま楽俊の横に座っていた陽子は、ぐいと楽俊に腕を引かれてそのままベッドに倒れ込んだ。
「こういう事になるだろ!?」
「一一一一一一一一」
 出会った頃と違い人間の姿で勉強している楽俊の力は、男だけあって陽子より強かった。
 細い体なのに意外と付いている筋肉は陽子を易々と支え、横になったまま簡単に抱きしめる。
「・・・・・・なるだろ、と言われても・・・・・・してるのは楽俊じゃないか」
 咄嗟の事にびっくり驚いて、意味不明な事を言い出す陽子。
「されると困るだろ、だからするなって言ってんだよおいらは・・・・・・」
 はー、と大きくまた溜息を吐き、陽子を手放し背中を押して座らせる楽俊。
 楽俊から離れると、どうしてか頬が火照っている自分に気が付いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・確かに、困る、かな」
 ドキドキ早鳴る心臓を抱え、そうかすまないと謝った。
「で、どうしたんだよ」
 ベッドから起きあがりひとつだけある勉強用のイスに座り、楽俊がしきり直す。
 いくら気まぐれな陽子とはいえ、遠く離れた慶国からこんな所にまでひとりで来るなんてと、不思議で仕方がない。
「・・・・・・会いたかったんだ」
 陽子はぽつりと呟き、楽俊の横にある窓から夜空を見上げた。
「・・・・・・陽子?」
 その様子がいつもの元気な陽子と違って見えて、楽俊は首を傾げる。
「楽俊に会いたかっただけなんだ」
 繰り返してそう言うと、ぽろりと涙が零れた。
「陽子!?」
 慌てて駆け寄り、楽俊の手が陽子の頬をこする。
 泣くな泣くなどうしたよ陽子? 目にゴミでも入ったか、腹でも痛いか怖い夢でも見たか?
 その手が、ネズミの頃の小さなものとは違って、なんだか逞しくて。
 陽子はそのまま、楽俊に抱きついた。
「自分で、ひとりひとりが成長していかないといけないって事は分かるんだ」
 抱きついた陽子を離そうともがく楽俊から意地でも離れず、小さく呟く。
「成長していくのに私は何の役にも立てないって事も、分かってるんだ」
 陽子の言葉を聞き、楽俊は大人しくなる。
「でも見ているだけなんて辛い、手を出せる距離にいて何もしてはいけないなんて辛い!」
 悲痛な叫びに、楽俊は言葉を失った。
 王には半身がいる。
 麒麟という、正しい道へ案内をする臣下がいる。
 陽子には味方もいる。
 雁国の王という、頼もしい仲間がいる。
 それでも、正しいと分かっていても辛く苦しい事もある。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泣きに来たのか?」
 楽俊は右手でぽんぽんと陽子の頭を撫で、もう片方を背中に回し抱きしめた。
 腕の中で、陽子は違う違うと首を振る。
「笑いに来た」
 なのに楽俊が泣かせるから、怒るから。
 こんなつもりじゃなかったのに、昔話でもして笑って楽しんで帰るつもりだったのに。
「え、それはおいらが悪いのか?」
 夜中に女に押し掛けられてこんなに紳士なおいらが悪いのか?
「夜中とか女とか関係ないだろ」
 私は私で、楽俊は楽俊だ。
「・・・・・・おいらが男で陽子が女ってのは関係あると思うなおいら」
 しかも今ネズミじゃないし、まぁネズミでも男なんだけど。
「冷たい、楽俊」
「陽子が鈍感なだけ」
 くだらない言い合いは止まず、不毛に繰り返される。
 楽俊は陽子の体を軽々と抱き上げ、再びベッドに座らせた。
「もっと泣かせてやろうか?」
 少しだけ浮上したらしい陽子に向かってニッと意地悪く笑い、楽俊はずいと陽子に顔を寄せる。
「もう泣かない」
 キッと顔を上げムキになる陽子は、正面から楽俊を見つめ返す。
「んじゃ、遠慮なく一一一一一」

 間近で見ていた楽俊の顔がみるみる近づいてきたと思うと、その端正な瞼が閉じてもう少しでぶつかるかと思って、その後。
 唇に、暖かな感触が降りた。
「一一一一一一 あれ、泣かない」
 呆然と固まってしまった陽子に、おかしいな予想外だと楽俊。
 そう言う楽俊の唇が艶めかしく濡れて光り、その目が悪戯に笑う。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おい、楽俊」
 陽子は、未だ混乱した頭をどうにか整理し、ぱちぱちと瞬きする。
「うん?」
 どうしたと顔を覗かれ、む〜っと頬を膨らませ立ち上がる。
「何するんだ〜!!」
「あ、泣く!?」
「泣かないっ!!」
 怒りだし枕を投げつける陽子に、楽俊がからかい笑う。
「王は短気じゃつとまらないぜ?」
 こんな事くらいで怒るなって陽子。
「お、怒ってもないっ!!」
 ただちょっと怒ってるだけ。
「それどこが違うんだ」
「だってっ」
 わははと大声で笑う楽俊に、むーと益々膨れる陽子。
 笑顔をくれる楽俊には、決して敵わない。
 落ち込んでいても怒っていても、いつの間にか笑ってしまう自分がここにいる。
 また会いに来るねと言うと、今度は昼にしとけよと真面目に言われる。
 だから昼に来たんだよ私は。
 だからって夜までいるなよお前は。
 なんだか、笑いながら、また涙が出る。
 民の苦しみに涙出来る王でありたい。
 苦しみから笑顔を引き出せる王になりたい。
 楽俊が陽子に与えてくれる笑顔を、今度は陽子が国中に。
「・・・・・・・・・うん、また来るよ」
 その夜。
 せめて朝まではと手を繋ぎ肩を寄せ合い夜空を見上げ、陽子は楽俊に言った。


 終            .

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 執筆者:沙子さま(No.16)