優しい音色
「暫く政務以外で、主上と御会い出来ません。御堂室も、移動致します」 能面の景麒が言った。 「・・・え?」 『何故?』・・・と、言いかけた時、もう景麒は背を向けていた。 「いきなり、どうしたんだ!?」 楽俊は、気が動転していた。 ――――それは陽子と楽俊が堯天の街に行った、次の日であった。 「――――おいら、・・・何か気に障る事しちまったのか?」 心当たりを探すが、思い浮かばない。『陽子は喜んでいる』と思っていたのに・・・分からないが自分が『何か』したのなら、謝ろうと陽子を尋ねたが、女官に 止められ会えなかった。 いつも一緒に摂る食事でさえ、別々であった。 楽俊の堂室は北宮・水陽殿にあった。彼は今慶の官吏を経て、『大公』―――景王陽子の伴侶となっていた。 景麒の言っていた通り、陽子の堂室から最も離れた燕寝内の堂室に、移動となっていた。 広いと感じる牀榻が、より一層広く感じた。いつも横には、赤い髪の少女が安らかな寝息をたてていた。 「・・・陽子」 その夜、楽俊は眠ることが出来なかった。 ――――次の日、朝議が終わった後、楽俊は陽子に声をかけたが、 「悪い、急いでいるんだ。用件なら祥瓊に言って」 陽子は景麒と一緒に自室へと行った。 「祥瓊とは話しをするのに、おいらは駄目なのか・・・?」 益々楽俊は落ち込んだ。楽俊は言われた通りに、祥瓊に『自分が何をしたのか分からないが謝る』との旨を伝えた。 「楽俊、違うのよ・・・今は言えないけど、気にしないで」 祥瓊は笑って言った。楽俊は少しホッとした。 ―――が、『自分だけが知らない?』楽俊は違う意味で気になった。 ――――それが約一ヶ月続いた。 はじめはあまり気にしないようにしていたが、こうも続くと 『陽子はおいらの事好きでなくなった?』という考えが芽生えた。―――そして急に怖くなった。『陽子が自分から離れる!?』そう思うだけで、あまりにもの 恐怖に叫びたくなるのを、どれほど堪えただろう。 ―――――「いっそ・・・殺してくれ」――― 楽俊はそう思うようになっていた。 寂しさと恐怖で苛んでいた――――そんな夜、景麒が楽俊の堂室へ来た。 「主上がお呼びです」 『・・・とうとう来たか・・・』 楽俊は覚悟を決め、陽子の待つ堂室へ行った。 ―――『陽子の手は煩わせない』 堂室へ行くと、 「楽俊!」 想像していたのとは正反対の明るい笑顔があった。 「そこに座っててくれる?」 楽俊は戸惑いながら座った。 「少しの間、目を瞑ってて」 楽俊は言われる通りにした。 「?」 ゴソゴソ、何かしているのが分かった。 ――――そして、 「!?」 胡弓の音色が聴こえてきた。楽俊は目を開けた。弾いているのは陽子だった。そしてこの曲は、あの日堯天の街で聴いた曲だった。 ――――演奏が終わり、陽子は上目遣いに楽俊を見た。パチパチ 楽俊が拍手した。 「良かったぞ!」 「本当!?」 「ああ・・・もしかして、この為?」 陽子は照れて 「・・・う・・・ん。楽俊を驚かせたくて・・・でも、楽俊には悪いことしてみたい。祥瓊が『楽俊元気ない』って、言ってたから・・・ごめんね」 済まなそうな顔の陽子に 「そんな事ねえ。陽子が思ってる程、気にしてねえよ」 まぁ、さっきまで『最悪』な事は考えていたが・・・そんな事はとてもじゃないが、陽子には言えない。 『なんて自分の早とちりなんだ・・・』 楽俊は自分自身に苦笑した。 「・・・で、何で突然胡弓なんか?」 不思議そうに訊いた。 「楽俊、この曲好きだって言ったでしょう。だから・・・」 「・・・え!?」 ―――あの時、旅芸人の一人が胡弓でこの曲を演奏していた時、何気なしに言った一言。それを陽子は覚えていて、しかも自分の為に胡弓を習ったというのか ――― 「!」 陽子は驚いた。楽俊の力強い腕が陽子を抱きしめたのだ。そのあまりにもの力の強さにさすがの陽子も 「・・・い・・・たい・・・」 その声に楽俊は慌てて離した。 「・・・すまねい・・・その・・・嬉しかったから・・・」 楽俊は顔が赤くなっていた。今度は陽子の方から抱きついた。 「本当はもっと上手くなってから聴いてもらおうと思ったんだけど・・・もう限界!楽俊に会いたくて会いたくて、狂いそうになった!」 「陽子・・・」 「やっと、楽俊に触れられた・・・」 陽子は楽俊に スリスリ した。楽俊は優しく抱きしめる。 『なんて愛しい存在なんだ・・・』 陽子を信じられなかった自分が情けない。 「聞いて!景麒がすごく厳しかったのよ!『これで楽俊殿にお聴かせするおつもりですか』 って」 今日、やっとお許しかでたのだ。どうやら、胡弓を教えていたのは、景麒だったようだ。 「!?」 急に陽子の身体が重くなった。 ―――クウ・・・――― 寝ていた。――――その時 「失礼します」 景麒が入って来た。楽俊は慌てて陽子を離そうとしたが、 「そのままで、お疲れなのです。この一ヶ月、寝る間も惜しんで練習なさっておいででしたから」 「景台輔・・・」 「本日より、御堂室は前の通りにお戻ししました。―――では、主上をお願い致します」景麒は堂室を出ていった。楽俊は耳の後ろを掻いた。そして、陽子を牀 榻へと運んだ。 規則正しい寝息をたてている陽子に 「ごめんな・・・そして、ありがとう」 優しく口付た。 ―――そして、楽俊にも睡魔が襲ってきた。今まで眠れなかった分、その眠りは深かった。 ――――後日 金波宮では、胡弓の音色が響いていた。 【終】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 執筆者:飛鷹小夜子さま(No.6) [月凪] |