雨の邂逅


「鬱陶しい雨だな、なあ、文張」

今、雁は雨期であった。

「そうか?おいら雨好きだけどな」

鳴賢の房間に辞書を借りに来ていた楽俊が、窓から見える雨を、目を細めて見つめていた。



――――雨



 半獣である楽俊は、晴れの日は外へ出なかった。出ると、無視・罵声・礫に当たった。だから、晴れの日は、家で父が残した文献を何度も読みふけっていた。 そして、雨の日は、村人が出ないこともあって、外へ出た。



「じゃ、借りてくな」

「ああ」

鳴賢の房間を後にした。



―――――『アノ日も雨だった』



「!」

鼠が足を止めた。

道に人が倒れていた。

「死んでる?」

恐るゝ鼠は近づいた。

倒れていた人が、顔を少し上げた。その人は鼠の姿を確認するや否や気を失った。

「おい?動けるか?」

だが、返事がない。

恐るゝその人に触れた。脈はあった。息もかろうじてしていた。

鼠は周りを見渡した。人がいない事を確認すると、鼠は人へと変わった。青年へと。

そして、気を失っている赤い髪の人を家まで、運んだ。



「おいらの服でいいか」

と言っても、服は一着ぐらいしかなかった。

雨で濡れきった服を脱がそうとした手が、止まった。

「―――――え?」

思わず後退った。

男だと思ったその赤い髪の人は『女』であった。青年は顔が真っ赤になった。

―――だが、首を振って

『早く、手当しないと』

無心で服を脱がせ、母の服を着せ、手当をした。

「ひでぇ」

特に右手の傷がひどかった。

「嫌!」

青年は吃驚した。少女が叫んだのだ。

「目が覚めたか?」

だが、違っていた。魘されていたのだ。

「・・・嫌・・・来ないで・・・」

少女の目から涙が零れた。

「・・・助けて・・・お母さん・・・お母さん・・・」

身体を強張らせ、振るえて『母』を求めていた。

青年はそっとその少女の頭に触れた。

「大丈夫だ。安心しな」

頭を優しく撫でた。涙も拭った。

「大丈夫・・・」

その声が聞こえたのか、少女は落ち着いた。



少女はなかなか目を覚まさなかった。

寝ている間も、鼠の楽俊は匙で、薬を少女に飲ませた。



ドンドンドンドン

戸を叩く音がした。

鼠は出た。

「おい!手配書だ。この人物に心当たりはないか?悪い海客だ。見つけたら、王直々に褒賞が貰えるぞ。半獣のお前にとっては、生涯お目にかかれない金だぞ」

「―――はい。見つけ次第、お知らせします」

鼠の楽俊は頭を下げた。



「海客・・・か」

だから、あんな扱いをされたのか・・・



「来たくて来た訳じゃねぇ・・・」



―――『半獣に生まれたくて生まれた訳じゃねぇ・・・』―――



楽俊は少女の房間へ行った。

少女は眠っていた。

「大丈夫、おいらが守ってやる」

楽俊は少女の頭を撫でた。



少女は時々、魘された。その都度、楽俊は頭を撫で、

「大丈夫。安心しな」

優しく囁いた。



やっと目覚めた少女は、今まで散々辛い目にあった余波で、楽俊を信じ様としなかった。だが、別に嫌な気はしなかった。

『そうなって、当然だ』

看病していて、少女の異様な怯え様で、分かっていた。



 雁に行こうとした少女に、

「一緒に行こう」

と、言ったのも

『見捨てておけない』

その思いが強かった。



旅の最中、少女・陽子は始終緊張していた。自分に対しても気を許してくれない。仕方ないのだと、楽俊は自分自身に納得させた。



そして、午寮の別れ、

そして、烏号での再会。



自分を信じてくれなかった彼女が自分に抱きついた。そして、名前を呼んでくれた。

――――その事が、すごくすごく嬉しかった。



―――そして、分かった。

『自分が陽子を好きだ』

という事に―――



楽俊は、自分の房間の戸を開けた。

思わず目を見開いた。

「―――よ・・・陽子!?」

戸を思いっきり閉めた。

赤い髪の少女が自分の房間にいた。少し髪が濡れていた。

「ど・・・どうして?」

どぎまぎしながら、訊いた。

「・・・ごめんね。なんか雨を見てたら、急に楽俊に会いたくなって・・・」

陽子が照れながら申し訳なさそうに言った。

「頭濡れてるぞ」

楽俊は陽子に布を渡した。

「ありがとう、雨具は着てたんだけど・・・」

陽子は頭を拭いた。

「慶でも雨降ってるのか?」

「うん。雁と違って、雨期ではないけど」

陽子が笑って答えた。

「いつも、突然だな」

「・・・ごめん・・・迷惑だった?」

「いんや・・・おいらも、陽子に会いたいと思ってたから・・・」

「本当!?」

そう言うと、陽子は楽俊に抱き付いた。

「わぁ!陽子・・・おい!」

楽俊は全身の毛が総毛だった。尻尾も ピンッ と立った。

「慎みを・・・!」

「楽俊に甘えたかったの!」

陽子は一層力を強めた。

楽俊は溜息をつく。

「こうしていると、落ち着く・・・」

「・・・そうか・・・?」

「うん・・・お母さんに抱かれてるみたいで、安心する」

ガクッ!

楽俊の全身から力が抜ける。

『まぁ・・・良いけどな・・・』

いや、あまり良くはないのだが・・・

『せめて、【お父さん】にしてくれ・・・』

「ごめんね・・・でも、他の人に甘えられなくて・・・」

陽子はフカフカの楽俊の毛に擦り寄る。

「・・・もう、慣れた・・・よ」

慣れたくはないのだが・・・

楽俊は陽子の背 ポンポン と、優しく叩く。

陽子は嬉しいのか、より一層楽俊に身を預ける。



 運命の出会い



―――――アノ日

雨が降っていなかったら、この少女とは会えなかった。

この、何よりも大切な存在に――――



大地にとっての――――恵みの雨



それは 楽俊にとっても『恵み』となったのだ――――




【終】



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 執筆者:飛鷹小夜子さま(No.6)
 [月凪